種まく人を育てる
神学校時代、恩師の一人だった組織神学の宇田進先生が、「私たち伝道者は」と口癖のように語られるのを、いいなぁと思って聴いていました。戦後の福音派で最初の博士号を取得した神学者は、伝道者であることを大切にしておられました。
私は日本同盟基督教団で伝道師・牧師を6年、信徒伝道者としての2年を経て、日本基督教団の牧師を11年務めた後、神学教師になりました。再び日本同盟基督教団の牧師に復帰して14年は担任牧師を続け、学長になったのを機に教会担任を離れましたが、それでも伝道者として召されたという自覚で働いています。いつでもカバンには伝道的な冊子を1冊入れておくようにしており、奉仕に伺った教会で求道中の方と話すことがあれば差し上げるようにしています。この頃は内田和彦先生の『「キリスト教は初めて」という人のための本』(いのちのことば社)を10冊買って、なくなるとまた買っておきます。こんなささやかな備えをすることで、「私たち伝道者は」という覚悟を忘れないようにしているのかもしれません。
とはいえ現在の主な任務は、福音の種をまく人を育てることです。今年、東京基督教大学(TCU)では、学部から大学院博士課程までに166名の学生が学んでいます。本来207人いてほしいところなので、刈り入れのために働き人を起こしてくださいと祈っています。とはいえ、キリストへの献身を志す若者が、日本全国と世界から集められていることに感動を禁じえません。一人一人が語るTCU入学までの証しを聞けば、主の御名をたたえずにはおれません。4分の1が留学生、全体の3分の1が伝道者になり、3分の2は信徒の伝道者になります。みことばを語る訓練を受ける者だけでなく、皆が「福音を肌で感じさせるキリスト者」として福音の種をまくことを目指す大学なのです。この学生たちが本学に集められるために、どれほど多くの福音の種がまかれ、水が注がれてきたことでしょう。そして、この学生たちが卒業したあと、生涯にわたってどれほどの福音の種がまかれてゆくことでしょう。そう考えると、この大学のかけがえのなさを思わずにおれません。
私の働く小さな大学のことを書きましたが、これまた神の広大な畑の一隅のことであり、この2000年間、世界中でたゆむことなく福音の種はまかれ続けています。主イエスは、サマリアの女と語り合った後、「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています」(ヨハネ4:35)と言われました。当時、異邦人のサマリアのどこに、色づいて刈り入れるばかりの畑があったでしょうか。しかし、種はまかれ、畑は色づいて刈り入れるばかりになっていたのです。これを見ることができるのは、主イエスから頂く信仰の目だけです。主イエスは続けて語られます。「わたしはあなたがたを、自分たちが労苦したのでないものを刈り入れるために遣わしました。ほかの者たちが労苦し、あなたがたがその労苦の実にあずかっているのです」(38節)
思い返せば、この前カバンから小冊子を渡したのはいつだったか。10冊購入したのはいつだったか。福音の種をまこう。刈り入れもさせていただこう。私たちはみな伝道者なのだから。
山口陽一著『近代日本のクリスチャン経営者たち』(いのちのことば社 税込み1,100円)、好評発売中。