追悼、そして感謝 詩画作家・星野富弘さん逝く
さる4月28日、詩画作家の星野富弘さんが天に召され、78年の地上の生涯を終えられました。いのちのことば社でも、「百万人の福音」の巻頭連載のほか、多くの本を発行させていただきました。その作品やエッセイには、信仰のこと、生きるということ、人の心の奥深くのことなどが平易なことばで表され、多くの人を魅了しました。
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星野さんの生まれ育った群馬県東村(現・みどり市)は、山深い地ではありましたが、足尾銅山からの銅を都会へと運ぶ交通路にありました。幼いころから父の農作業を手伝うかたわら、豊かな自然の中で友人たちと遊び、山野の恵みを味わったといいます。
高校時代には、機械体操部で活躍し、全国大会でも好成績を残しました。群馬大学を卒業すると、中学校の体育教師となりましたが、赴任約2か月後、クラブ活動での模範演技で、頚椎を損傷し、肩から下が麻痺してしまいました。
抜群の運動神経をもち、教師として嘱望さていた青年が、突如、生活のすべてにおいて介助なしには生きられない状態になったことで、どうしたら死ねるかを考えることもあったといいます。
そんな星野さんが再び生きる希望を見出したきっかけが、キリスト教との出会いでした。三浦綾子の小説『塩狩峠』を読み、それがきっかけとなって大学の先輩から渡された聖書を読み始めました。そして事故から4年後、洗礼を受けるに至ったのです。
入院は9年に及びましたが、その間にもらった手紙へ、自分で返事を書きたいと思い、サインペンを口にくわえて文字を書き、余白に小さな絵を描き始めました。それが、詩画のスタートでした。以来創作期間は約45年。多くの作品が、日本だけでなく、世界の人々をも魅了し、励まし続けました。
いのちのことば社の関係者が、晩年の星野さんのご自宅を訪問した際には、いつも冗談を言って場を和ませてくれました。そんなある時、「ケガをしていなかったら、きっと傲慢な人間になっていたと思う」と話されたことがありました。徹底して弱い立場に置かれた中で、聖書を通して神様との関係を深め、そこからにじみでるようなことばと絵を残していかれました。星野さんの幼馴染で、富弘美術館の聖生館長は、各地の詩画展で行うギャラリートークで、「信仰が、作品に深みをもたらした」と語っています。
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口で絵筆をくわえ、細かな描写をすることは大変な労力であり、年齢に伴う衰えもあって、「百万人の福音」の連載も、2017年12月号をもって終了しました。その最後の詩画に、ツワブキの絵とともに書かれた詩は「そうか神様に生かされていたのか」で始まり、「どんな小さなことにも意味があったのを知った」で終わっています。およそ世の常識からすれば絶望でしかない状況の中で、星野さんは、神様との関係や、人間に秘められた良きものをすくい出して発信し続けてくれました。それは、神様と、制作を支えた昌子夫人と三者で紡いだ奇跡であったと言えるのではないでしょうか。