神の計画は計り知れず
私は山形県で牧師家庭に生まれ、幼少期をハワイとイギリスで過ごしました。その後、父が千葉県柏市で開拓伝道を始め、家族5人で教会がスタートしました。小学2年生の頃、近くの教会のオルガニストからピアノを習い始め、礼拝で奏楽も担当するようになりました。中学生になり、海外のワーシップ音楽に出合ったことによって日本でもこのような賛美を広めたいとのビジョンが与えられ、大学生の時にレインボーミュージックを立ち上げてミニストリーを開始しました。当時はほとんどのワーシップ音楽が海外の曲の訳詞だったので、各教会にいろいろな訳詞が存在しており一緒に歌えない状況でした。日本語で書いたオリジナルの賛美は歌詞の意味もわかりやすく、次第に多くの教会で受け入れられました。「主の臨在の中で」は私が最初に作詞作曲したワーシップソングです。学生時代に立ち上げた、若者に向けたミニストリーを卒業後も続けたいと思っていたので就職することは考えていませんでした。しかし、当時交際していた後に妻となる彼女が大学職員であったことなど、さまざまな導きにより、自分の母校である青山学院で働くことになりました。
その頃、私はフルタイムの仕事と教会での奉仕を分けて、平日は仕事、土日は教会内外で奉仕という生活を続けていました。若かったこともあり、体に鞭打ちながら多忙な生活を送っていましたが、次第に心身ともに疲れが溜まってきました。ある大きなプロジェクトを担当したことがきっかけで、ついに体に異変が現れました。動悸が止まらず、夜眠れない日々が続きました。そして東日本大震災をきっかけに、私の心と体をつなげていた細い糸がぷつんと切れたかのように、朝起きられなくなりました。 診療内科で診察を受けた結果、うつ病と診断されました。薬も処方され、症状が改善されるとすぐに回復するだろうと軽く考えていましたが、状態は甘くなく回復に1年半を要しました。
私はこれは神様からのサインだと思いました。神様がフルタイムでの献身に導いておられると。ところが、牧師である父にそのことを伝えると、考え直すようにと言ってきたのでした。父の助言は心底自分の思いとは異なっていたので、サタンが神様への献身を妨げていると思うほど私は強く父に反発しました。しかしさまざまな出来事を通して思い直し、自分の思いを捨てて、遣わされている職場に戻る決心をしました。それはミニストリーを始める時に祈った献身の祈りとまったく同じでした。
その後、私は宗教センター事務室に配属され、学生のミニストリーを全面的にサポートする役割を担うようになりました。学生がワーシップをリードするコンテンポラリー礼拝や、ワーシップミュージシャン養成講座、コンサートの企画運営など、気がつけばかつてミニストリーとして区別していたことを仕事として行うことができるようになったのです。これは自分の思いを超えた働きであり、もし自分の計画に固執していたならば、今の働きは成し得なかったでしょう。 神様は私たちの思いをはるかに超えて働いてくださいます。自分の思いを捨て、完全に神様に明け渡す時、神様ははるかに高いところへ私たちを導いてくださるのです。
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。―主のことば―天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ55:8、9)