希望に向かって歩みを進める

安藤能成いのちのことば社 理事長

今年でいのちのことば社は創立75周年を迎えます。一つの節目の年限ともいえるのではないでしょうか。
近年の当団体は、とても厳しい状況にあります。改善と祈りの課題です。けれどもそのような状況を覚えつつ希望を全能なる神に置いて、今年の年間標語を創世記1章1節にしました。ここにすべてのはじまりがあります。すべての存在のはじまりです。見えるもの、見えないもののすべてが、ここからはじまりました。時間も空間もすべて。そのはじまりに存在されたのは造り主である全能の神だけです。もちろんその神は、父、子、聖霊の三位一体の神です。
創造の事実は、ここに私たちがいるということです。そして多くの被造物が存在しているという事実です。もしも全能の神がおられず、造ることがなければ、すべてのものは存在しません。「我思う、ゆえに我あり」とデカルトが言いましたが、私たちが認識しようとしまいと、私たちは存在しています。神が造られたからです。その事実は変えられません。
そして存在の事実は素晴らしいものとして神が造られたのです。創世記1章31節「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった」とあるとおりです。
この世界を神はどのような動機で造られたのでしょうか。それは愛です。主なる神は、ご自分が愛すべきものとして、この世界をお造りくださったということです。存在するすべてをご自分の愛する対象としてお造りくださったということです。その愛は被造物の中に受け継がれています。すべてのものを見て非常に良かったと神が言われたのは、被造物の中に神の愛が示されているということです。被造物に見られる美しさ、花々の美しさ、宇宙の星座の美しさ。そして夫婦、親子、友人との間にある愛の美しさ。人は愛するゆえに相手を求めます。そして二人の間に生まれた者を愛します。愛がなければすべてはむなしいと聖書にあります。
主なる神の命令も愛です。申命記6章5節「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」。そしてレビ記19章34節「あなたはその人を自分自身のように愛さなければならない」
このように愛がすべてのはじまりです。愛すること。それは大切に思い、大切にすることです。コリント人への手紙第一13章に「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。愛は決して絶えることがありません。……こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です」とあるとおりです(4~8、13節)。
すべてのことが愛によってはじめられ、愛によってなされ、愛によって治められるならば、それは素晴らしいことではないでしょうか。この一年のはじまりに私たちが求める祈りは、「神よ、どうか私に愛を与えてください」ということではないでしょうか。
会社を愛し、同労の社員を愛し、与えられた仕事を愛するところに希望があります。その希望に向かって歩みを進めさせていただきましょう。