あしあと
キリストの愛を携えて過疎地の子どもたちと交流
立教大学YMCAキャラバン隊
牛滝集落42年の歩み
(記・中田勝康)
ミッションスクールに通う学生が、生まれ故郷に近く、冬になると雪に閉ざされる小さな村を思いながら書いた詩。その詩は若き信仰者たちの心を動かし、やがてそれは四十二年にもわたって続く過疎地域の子どもたちとの交流へとつながった。(写真は休校となった牛滝小中学校)
難病に侵されながら 神の使命を全うしたその生涯
常盤台バプテスト教会 会員
福本 峻平(故人)
十五歳で原因不明の難病を発症。体の自由と声を奪われながらも「神に与えられた人生」を生き、「自分にできること」を求め続けた一人の青年。三十三歳で天に召された若き「神の僕」の生涯を描いた新刊『なぜ君は笑顔でいられたの?』が発刊された。
夫・小坂忠と二人で歩んだ主の道(後編)
ミクタムレコード&ミニストリー代表
日本フォースクエア福音教団・秋津福音教会主任牧師
小坂(高)叡華
芸能界・音楽界に身を投じ、積んださまざまな経験。それらは後の人生で大いに役立つ、神の備えだった。小坂忠氏と出会い、結婚。娘の大怪我と癒やしから導かれた救いの道。そして神は日本のリバイバルのために、二人を押し出された。
芸能界・音楽界の光と影 小坂忠と二人で歩んだ選びの道(前編)
ミクタムレコード&ミニストリー代表
日本フォースクエア福音教団・秋津福音教会主任牧師
小坂(高)叡華
「日中の愛の実」といわれた幼少時代。好奇心旺盛な活発な少女はやがて、芸能界・音楽界へ身を投じ、プロデューサーとしてイベント、コンサート等を多数制作するようになった。小坂忠氏との出会い、そして二人に訪れた、今までの生き方を大きく変えた出会い。
六十歳から「貧しい人々のため農園を」一粒の麦となった人
スペイン・バスク地方「nana農園」経営
日本ホーリネス教団岬教会に通った
池口 温子(故人)
子どもの教育、義家族の介護を心をこめて終えた後、六十歳から目指した新たな夢。それは異国の地での農園経営だった。貧しい人々のために、人生をささげ、神と共に生きた一人の女性の人生。(記・佐藤仁美(日本ホーリネス教団隠退牧師))