特集
「賜物」再考、「賜物」サイコー!
教会でよく耳にする「賜物」ということば。「音楽の賜物」「教える賜物」というように、その人の才能や能力を指して使われることが多いように見受ける。そして時には「賜物を生かしなさい」と強いられたり、「自分に賜物はない」と劣等感を感じたり…。しかしその「賜物」理解、本当にそれで十分?聖書は他にも「賜物」についていろいろと語っているような…。新年にあたり、目標を立てている人もいるだろう。その前にちょっと立ち止まり、神の「賜物」とは何か再確認してみませんか? そして今年遣わされる場にそれを携え、自分らしく生きるためのヒントにしよう。 それぞれ罪を赦していただくために、 悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。 そうすれば、賜物として聖霊を受けます。 (使徒2:38) 罪の報酬は死です。 しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。 (ローマ6:23) …御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに 賜物を分け与えてくださるのです。 (Ⅰコリント12:11) それぞれが賜物を受けているのですから、 神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて 互いに仕え合いなさい。 (Ⅰペテロ4:10)
キリストの系図が示す神の愛 祝福のきずなに「私」をつなぐクリスマス
新約聖書はキリストの系図から始まる。目を見張るような奇跡でもなく、山上の垂訓でもなく、なぜ淡々と名が連なる系図が冒頭に紹介されるのか。 実はこれこそが、神のもたらした「福音」の縮図だからだ。 それは堕罪した人間のいのちを、ただ救おうというだけではない。血縁をも凌駕する強いきずなで「神の民」を結ぼうとする、深遠な神のご計画が映し出されている。アブラハムから始まり、イエス誕生に至る系図をひもとき、クリスマスに込められた大きな希望と喜びを、確認しよう!
“動物福祉”の時代だからこそ見ておきたい 聖書と動物
最近、メディア等でよく耳にする「アニマルウェルフェア(動物福祉)」ということば。動物自身の幸福度に着目し、人間の保護・管理下にある動物ができる限りストレスなく、健康に過ごせるよう努めよう、という考えだ。 動物も人間も神に造られたもの。 私たちは今の時代を動物たちとどのように生きていくべきだろうか。 聖書にも実にさまざまな動物が登場する。そこにはどのような意図があるのか。 動物を通して語られる神様からのメッセージを受け取ろう。
キリストの弟子となり、弟子とすること
キリスト者は皆、伝道の使命が与えられている。その基となるのは、イエスの語った「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28・19)という大宣教命令。これを胸に、クリスチャンはさまざまな場所、立場、方法で、創造主である神や十字架による罪の贖い、永遠のいのち、再臨など、聖書の語る福音をまだ知らない人に届けるよう努めている。…と、確かにそれはそれで大事だけれど、聖書の教えを伝えることが、イコール「弟子とする」こと? キリストの弟子となり、弟子とすることについて、改めて確認しよう。
富弘さんが遺したもの
四月二十八日、詩画作家の星野富弘さんが七十八年の地上の生涯を終え、天に召された。大学卒業後、中学校の教諭となり、クラブ活動の指導中に頸髄を損傷。手足の自由を失った。失意の中で知った、自らを愛し、生かす神。神の創造された草花、そして与えられたことばを描き続けた。富弘さんが生涯をかけて大切にしたものとは何だったのだろうか。