特集
『新約聖書』とは何か?
今私たちが当たり前のように読むことができる『聖書』。新約―「新」しい契「約」の書であるという新約聖書は、旧約聖書と何が違うのだろうか。どのように成立し、何が書かれていて、なぜ正典として人々に認められるに至ったのだろうか。新約聖書とはいったい何なのか、改めて学んでみたい。
預言じゃないよ 預言の成就としてのクリスマス 私のために生まれた救い主
イエス・キリストが生まれたことを祝う「クリスマス」。世界中で祝われ、キリスト教国家ではない日本も街中が「クリスマス」一色となる。しかし、この救い主イエス・キリストの誕生は人類に突然もたらされたわけではない。天地が創造されたその時から、旧約聖書でも、この方の誕生と人類を救う方であることが預言され、待ち望まれてきたのだ。この人類救済のための壮大な神の計画に思いを馳せつつ、今を生きる私たちの救い主でもあるイエスの誕生を共に喜びましょう。
似て非なる「預言」と「予言」
広く一般的に用いられる「予言」は、未来の物事を予測して言うことです。「いついつ、何々が起こる」と警告の意味合いをもってあらかじめ語られるなどしますが、幾つかの根拠から導き出される推測などとは異なり、その根拠は本人以外には不明の場合が多いでしょう。一方「預言」は、直接的、または聖霊によって示される神からの啓示を意味します。その範囲は過去、現在、未来に及びます。預言の使命は、神に従う人々に、今求められている行動、決断について具体的な指示を与えることであり、それは聖霊の権威によってなされます。その場合、預言を受けた者には、神の意志に従うことが求められるのです。
特集 祈ることを教えてください
キリスト者にとって信仰の基本である祈り。しかし、他宗教の人々も、特定の宗教を信仰しない人も祈ることはあるだろう。一体何が違うのだろうか。イエス・キリストが教えてくださった「主の祈り」を見つつ、私たちにとって祈ることがどういうことなのか、祈りの中で神様は何を私たちに語ろうとしているのか、また私たちはどう祈ればいいのか共に考えてみよう。
「平和」のために「私」ができることはありますか?
戦後80年。戦争をリアルに知る世代が高齢化し、多くが天に召された。かつては当たり前のように反戦・非戦の声が聞かれたが、世界情勢の変化、各々の国・人間の立場や価値観ゆえに、戦争は必要悪だと言う声すら聞く。日本でいつ戦争が再び起きてもおかしくない時代とも言えるのではないか。先の戦争のように、戦争はいつも「自衛」や「解放」などの美名のもとで突如始められていくということも忘れてはいけない事実。今を戦前としないために、神の願う「平和」を求める者となるために、今私たちがなすべきことが何であるのか、共に考えてみたい。
最新研究による 今の私につながる聖書のリアル
聖書は想像の物語? 遠い国、遠い過去のお話で私には関係ない? いえいえ、聖書にはこの世界で実際に起こったことが書かれてあり、その歴史の流れは現代の私たち一人一人につながっている! しかしそんな聖書の世界を文字だけでリアルに感じることはなかなか難しいかも。 聖書の世界を生き生きと感じたい|それはクリスチャンとして誰もが願うこと。地図や写真、最新の研究による資料を見ながら、臨場感をもって聖書の世界を味わい、そのメッセージを受け取ろう!