特集

「平和」のために「私」ができることはありますか?
戦後80年。戦争をリアルに知る世代が高齢化し、多くが天に召された。かつては当たり前のように反戦・非戦の声が聞かれたが、世界情勢の変化、各々の国・人間の立場や価値観ゆえに、戦争は必要悪だと言う声すら聞く。日本でいつ戦争が再び起きてもおかしくない時代とも言えるのではないか。先の戦争のように、戦争はいつも「自衛」や「解放」などの美名のもとで突如始められていくということも忘れてはいけない事実。今を戦前としないために、神の願う「平和」を求める者となるために、今私たちがなすべきことが何であるのか、共に考えてみたい。

最新研究による 今の私につながる聖書のリアル
聖書は想像の物語? 遠い国、遠い過去のお話で私には関係ない? いえいえ、聖書にはこの世界で実際に起こったことが書かれてあり、その歴史の流れは現代の私たち一人一人につながっている! しかしそんな聖書の世界を文字だけでリアルに感じることはなかなか難しいかも。 聖書の世界を生き生きと感じたい|それはクリスチャンとして誰もが願うこと。地図や写真、最新の研究による資料を見ながら、臨場感をもって聖書の世界を味わい、そのメッセージを受け取ろう!

十字架とエクソダス(出エジプト) 〜解放された私たち〜
「エクソダス」、つまり旧約聖書の出エジプトは、奴隷状態のユダヤ人が、モーセに率いられてエジプトを脱出するという大スペクタクルストーリー。聖書を読まない人にもよく知られている。一方「イースター」も、近年、日本での認知度は上がったが、その本当の意味を知る人はどれだけいるだろうか? キリストの「復活」という奇跡、そこに至るまでの十字架による死の意味、そして、「エクソダス」との関係を…。二千年前、キリストは人として地上に来られ、世界の片隅で十字架にかかり死なれた。しかしこの死こそ、人類全体を救済する、史上最大の「脱出劇」だったのだ。

深掘り! 礼拝の式次第 プログラム一つ一つに意味がある
毎日曜、クリスチャンがプログラムに沿って当たり前のように進めていく礼拝。しかし、初めての方にとっては、聖書朗読や賛美はともかく、招詞、頌栄、祝祷、使徒信条など、馴染みのないことばがいっぱいで戸惑うかも…。そして案外、プログラム一つ一つの項目について深く考えたことのないクリスチャンもいたりして…? プログラムの意味、そもそも礼拝とは何かということについて、改めて考えてみたい。

手渡しの福音 文書伝道の灯を消さないために
近くの書店にふらっと寄ったら、思わぬ出合いがあり、人生を支える本となった―。一昔前なら、このような話をよく聞いたが、めっきり聞かなくなった。今日本では地域書店がどんどん少なくなり、ここ二十年ほどで半数に減ったという。
一方、キリスト教書店はというと、同じく活字離れや不況のあおりを受けているほか、読者の多くをしめるクリスチャン自体が減少していることも影響し、同じく急激に数を減らしている。
ネットで買えるからリアル店は必要ない? ネットにニュースも読み物もあふれているから、もう本はいらない? もう私たちは〝手渡し〟で福音を伝える必要はない?
改めて「文書伝道」の意義を共に考えてみませんか。
【お詫びと訂正】
百万人の福音2月号で、特集に掲載した「実情調査:キリスト教書店2024」(5 頁)の記事において、各都道府県の書店数に誤りがありました。新たに集計したデータに基づいて、訂正版を掲載いたします。
文書伝道を共に担ってくださっている書店の働きをご紹介し、励まし合うことができれば、という思いで取り組んだ企画でしたが、調査が足りず、非掲載となり、心を痛められた書店の皆様に深くお詫び申し上げます。
今回のデータは2002 年と2024 年の比較のため、それぞれの時代の同じ元資料を基本としました。それゆえ、この資料に算入されていない書店が漏れてしまいました。
書店で働いておられる方々、そして書店を愛しておられる方々を傷つけてしまうこととなり、編集部一同、猛省しております。同様の事象が起こることのないよう、より一層気を引き締めて、主と教会に仕えてまいります。
今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。