特集
「地の塩、世の光」の 一歩
キリストを信じて洗礼を受けた人に、キリスト・イエスは「地の塩、世の光」らしく歩むことを求めている。それは、現代日本において、どんな生き方なのか。弱さを覚えている人の傍らに立ち続けるキリスト者の姿を通して、探ってみたい。
対談 奥田知志 VS 五十嵐弘志〔4〕、ななさんぽ番外編「一人一人が特別扱い」〔12〕、教会でこども学習支援 目白聖公会〔17〕、「地の塩、世の光」として生きるとは 犬養光博〔20〕
神のことばと聖書翻訳
一昨年、『聖書 新改訳』の改訂版、『聖書 新改訳2017』が出版された。今回の全面改訂は実に四十七年ぶりのこと。使用単語だけでなく、日本語としての表現自体も見直され、中には、改訂前と比べて大きく印象が変わった箇所もあるという。変わらない神のことばを伝えるため、時代ごとにバージョンアップしてきた聖書のことばたち。最新版と旧訳の比較も交え、奥深い聖書翻訳の世界をのぞいてみよう。
聖書翻訳の歴史in 日本〔4〕、こんなに変わった、「新改訳」新旧訳の比較〔6〕、「聖書 新改訳2017」の恵み 津村俊夫〔10〕、翻訳あるあるQ&A〔14〕、「聖書翻訳」の頃 徳永 大〔18〕、聖書ラインナップ〔21〕
熊本キリスト教の旅
熊本県は、明治期、日本におけるプロテスタントの源流の一つ、熊本バンドが誕生した地。今も各地には、海外の宣教師が始めた福祉施設など、多くの先人クリスチャンたちの足跡が残る。最近では、教派を超えた教会ネットワークの活動も活発になっているとか。熊本のキリスト教の、歴史と今を訪ねてみた。
熊本バンド〔4〕、九州学院〔6〕、大江教会〔7〕、キリスト教書店ハレルヤ〔8〕、慈愛園〔9〕、リデルライトホーム〔10〕、天草探訪〔11〕、キリスト教系の宿泊施設〔16〕、牧師鼎談〔17〕
希望あふれる「死」を迎えたい
一般的に言って、「死」は忌まわしく、絶望のイメージしかない。死期が迫るとき、人は慣れ親しんだすべてのものから引き離される寂しさと、未知の世界へ無理やり押し出される不安に襲われることだろう。しかし、聖書の語る「死」は違う。キリストの十字架の下で迎える死は、すべての労苦からの解放の時であり、新天新地へ近づく通過点…。そう、喜びの時となるのだ!
希望あふれる死6「世界でいちばん陽気な墓」に鑑みて アマリア・ネクラエシュ〔4〕、教会員みんなで支える人生の最終章 岸本みくに〔8〕、或るキリスト者の旅立ち 飯島ルツ〔12〕、書籍の紹介〔14〕、聖句が伝える「希望ある死」〔16〕、日本人の死生観、聖書の死生観 大和昌平〔19〕
災害に向き合う教会
東日本大震災から八年がたった。震災発生を機に始まった教会主導の支援は、物理的なものから精神面での支援へと変容しつつあるが、現在も続いている。その後も、日本各地では大規模災害が多発したが、3・11の教訓は、どのように生かされたのだろう。これまでの経過を振り返り、その時、教会ができることについて考えてみたい。
〈東日本大震災〉宮城:宮城宣教ネットワーク、福島:ふくしまHOPE・福島宣教ネットワーク〔4〕、〈熊本地震〉九州キリスト災害支援センター〔10〕、〈西日本豪雨〉岡山キリスト災害支援室〔14〕、首都圏のキリスト者防災ネットに聞く クラッシュジャパン〔17〕、ボランティアに行こう!〔20〕