特集
老いの恵み
超高齢化社会。日本人の平均寿命は伸び、女性は八十代後半、男性は前半。昭和初期の平均寿命と比べれば約二倍。最近では人生百年と言われ、「老後」が長くなったとも言える。元気な高齢者も多いが、やはり身体的な衰えを感じ、退職や、家族の死を経験するなど、孤独を味わっている高齢者もいることだろう。そんな中で、聖書は「白髪は栄えの冠」と語る。負の側面に向き合いつつ、なおそこにある神からの祝福、恵みについて考える。
争いを引き起こすのは誰か「戦争」に私の罪を見る
日本もかつて自ら戦争への道を突き進み、そして多くの命が失われた。国が、民族が、国の最高権力者が、「誰か」が、その争いを引き起こした。ある一面ではその通りであり、為政者は大きな責任があるだろう。しかし、本当にそれだけだろうか。一兵隊には、一市民には、「私」には、何の責任も罪もないのだろうか。ウクライナ危機による世界情勢の変化、隣国アジアで繰り返される軍事訓練などを受け、日本政府も〝防衛〟のための軍備増強を始めた。今こそ、自らを省み、現状を正しく把握し、私たちが真に「平和を造る者となるためにできること」を考えようではないか。
旧約聖書の「神」、新約聖書の「神」、私たちの「神」
旧約聖書の内容を現代に生きる私たちが読めば、違和感や恐怖を感じる記述が多くある。そのせいか、旧約の神は怖くて新約の神(イエス)は優しい、との印象をもつ人が少なくない。一方、イエスはすでに来られ、今は新約の時代だから、旧約の古い教えは破棄されたもの、参考程度に読めばいい、と考える人もいると聞く。本当にそうだろうか? 聖書には神が「唯一」の存在と書かれてあり、イエスも旧約聖書を引用した。新・旧約、双方の記述から、聖書に現された神の姿に迫りたい。
なぜ人は「結婚」するの? しないの? 聖書が語る結婚・独身
「女性の幸せは専業主婦&子育て」「男性は妻をもって一人前」…。 そんなかつての常識も今は昔、現代は結婚の在り方だけでなく、する・しないさえも、各自が自分の価値観に照らし合わせて選びとる時代になってきた。 では聖書は、「結婚」「独身」についてどう語っているのか? 価値観の多様化が進む現代、改めて、聖書のことばに耳を傾けたい。
教会に集まる意味を考えてみた
キリストを自らの救い主と信じ、クリスチャンとなった。 永遠のいのちが与えられ、 めでたしめでたし…? 自分が神としっかりつながってさえいれば、教会に行かなくていい、“交わり”なんて煩わしいと考えてしまうこともあるだろうか。 コロナ禍で接触を極力減らす流れの中で オンライン礼拝も普及し、教会の交わりが減っているとも聞く。今、改めて問います。 教会に「集まる」ことって必要ですか?