特集
“孤独”の恵み“交わり”の恵み
コロナ禍、人との関わりが減り、孤独を感じている人も多いのではないか。聖書には「人がひとりでいるのは良くない」(創世2・18)とある。これは、長年結婚を勧める教えとして、語られてきたが、本当にそれだけの教えだろうか。確かに人は一人では生きていけない存在で、豊かな“交わり”は生きるうえ不可欠だろう。一方で、たとえ家族がいようとも人は結局は“ひとり”であることも事実だ。しかし、社会の中で孤独を感じるときにこそ、神に呼ばれているのかもしれない。
“無関心”でも “論破”でもなく、聖書的な“議論”をしませんか?
インターネットの普及で、人はいつでも誰でも自由に意見を発信できるようになった。しかし、どこでも健全な議論が行われているわけではない。話し合いによってよりよい結果を導き出そうというよりも、相手を理論で打ち負かし、黙らせたほうが勝ちというような勝敗が目的になっているケースも目立つ。それでは、この世の“分断”は解消できず、むしろ増えていくばかりだろう。そもそも日本人は、元来ディベートが苦手な民族と言われてきたが、今はそれぞれが意見の違いを乗り越え、協力しなければ社会が成り立たない時代。健全な議論について、聖書から考えてみたい。
イースター特集 いのちが輝く聖書の死生観
「死」の先には何がある? いつかは死ぬと定められている人間にとって「生」の意味とはなんだろう? 人は誰もが自分の「死生観」に沿って生きている。そして恐れから「死」を避けたり、逆に苦難から逃れる道と捉え、時に自死を選んだりも。では人は、「死」の前におびえるか、解放を求めて命を投げ出すしかできないのだろうか? 聖書はその解決があると語る。しかもそれは死後だけではなく、今を生きるいのちを輝かせるもの。聖書の語る「いのちが輝く死生観」を考える。
特集 環境破壊とキリスト教 神が愛するこの世界に生きる者として
神が創造された時、「非常に良かった」世界。 それが今、人間による環境破壊でひどく痛んでいる。 国際社会も危機感をつのらせ、2021年、 COP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)で、 地球温暖化の元凶とされる石炭火力発電の「段階的削減」が 話し合われるなど、議論が重ねられている。 神が愛してやまないこの世界と人類を守るために、 今私たちがすべきこととは。
人の「成功」≠神の「祝福」
与えられた人生でいかに仕事や経済、人間関係で成功を収めるか。街の書店の棚には、そんな成功をつかむためのハウツー本がずらりと並んでいる。それは“成功”が現代人にとっての最重要課題だからだろう。ただその一方、“成功”を積み重ねても満たされない心を抱え、さらなる追求に突き動かされている人も多いような…。キリスト教会でも、ともすると信徒数や献金額、奉仕の達成度合いによって、神の祝福を計りそうになる誘惑がいつも身近にある。聖書が語る本当の“成功”、祝福とは何なのか、改めて考えてみよう。