特集
宗教2世 信仰継承について改めて考えてみました
近年、「宗教2世」について取り上げた テレビ番組や本などが目立つ。 「カルトや異端信仰をもつ親のもとに育った子ども」と 限定的に使われていることが多いが、 本来は信仰をもつ親のもとに育った子ども、 つまりクリスチャン2世も「宗教2世」といえるか。 親としては、なんとかして、 福音・信仰を子どもに伝えたいと願うだろう。 その一方で、それが強要や押しつけに なってはいないだろうか。 また、子ども自らが自分の信仰を育むための 妨げになってはいないだろうか。 健全な信仰継承とは何か、共に考えたい。
“孤独”の恵み“交わり”の恵み
コロナ禍、人との関わりが減り、孤独を感じている人も多いのではないか。聖書には「人がひとりでいるのは良くない」(創世2・18)とある。これは、長年結婚を勧める教えとして、語られてきたが、本当にそれだけの教えだろうか。確かに人は一人では生きていけない存在で、豊かな“交わり”は生きるうえ不可欠だろう。一方で、たとえ家族がいようとも人は結局は“ひとり”であることも事実だ。しかし、社会の中で孤独を感じるときにこそ、神に呼ばれているのかもしれない。
“無関心”でも “論破”でもなく、聖書的な“議論”をしませんか?
インターネットの普及で、人はいつでも誰でも自由に意見を発信できるようになった。しかし、どこでも健全な議論が行われているわけではない。話し合いによってよりよい結果を導き出そうというよりも、相手を理論で打ち負かし、黙らせたほうが勝ちというような勝敗が目的になっているケースも目立つ。それでは、この世の“分断”は解消できず、むしろ増えていくばかりだろう。そもそも日本人は、元来ディベートが苦手な民族と言われてきたが、今はそれぞれが意見の違いを乗り越え、協力しなければ社会が成り立たない時代。健全な議論について、聖書から考えてみたい。
イースター特集 いのちが輝く聖書の死生観
「死」の先には何がある? いつかは死ぬと定められている人間にとって「生」の意味とはなんだろう? 人は誰もが自分の「死生観」に沿って生きている。そして恐れから「死」を避けたり、逆に苦難から逃れる道と捉え、時に自死を選んだりも。では人は、「死」の前におびえるか、解放を求めて命を投げ出すしかできないのだろうか? 聖書はその解決があると語る。しかもそれは死後だけではなく、今を生きるいのちを輝かせるもの。聖書の語る「いのちが輝く死生観」を考える。
特集 環境破壊とキリスト教 神が愛するこの世界に生きる者として
神が創造された時、「非常に良かった」世界。 それが今、人間による環境破壊でひどく痛んでいる。 国際社会も危機感をつのらせ、2021年、 COP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)で、 地球温暖化の元凶とされる石炭火力発電の「段階的削減」が 話し合われるなど、議論が重ねられている。 神が愛してやまないこの世界と人類を守るために、 今私たちがすべきこととは。