特集
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今はわからなくても ネガティブ・ケイパビリティと聖書
コロナ禍、戦争、自らや親しい人の病など、自分ではどうすることもできない、答えがわからない状況に出合った時、人はひどく不安になる。答えや意味を求めてもがき、一方で大きな声に答えを急かされるような感覚に陥ることもあるだろう。イエスは「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります」(ヨハネ13・7)と言われた。私たちにはわからないことがある。どうにもできないこともある。無理に答えを出そうとあがくのではなく、ただ全てをご存知の神に身をゆだねてみよう。
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今 目の前にある戦争 クリスチャンは平和をつくれますか?
三月、ロシアがウクライナに侵攻し、「戦争」が始まった。 連日、途切れることのない報道は、 私たちに平和のもろさ、それを守ることの難しさを突きつけている。 日本も、いつ再び戦争へと踏み出すかわからない恐怖…、 失われていく命に対し、何もできない無力感…、 国の始めた戦争を支持する宗教指導者たちへの苛立ち…。 この現実を前に、 私たちは何をどう考え、 何によって光を見いだしていくことができるだろうか。 今、何が起こっているのかを確認しながら、 真に平和をつくるとはどういうことなのかを共に考えたい。
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宗教2世 信仰継承について改めて考えてみました
近年、「宗教2世」について取り上げた テレビ番組や本などが目立つ。 「カルトや異端信仰をもつ親のもとに育った子ども」と 限定的に使われていることが多いが、 本来は信仰をもつ親のもとに育った子ども、 つまりクリスチャン2世も「宗教2世」といえるか。 親としては、なんとかして、 福音・信仰を子どもに伝えたいと願うだろう。 その一方で、それが強要や押しつけに なってはいないだろうか。 また、子ども自らが自分の信仰を育むための 妨げになってはいないだろうか。 健全な信仰継承とは何か、共に考えたい。
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“孤独”の恵み“交わり”の恵み
コロナ禍、人との関わりが減り、孤独を感じている人も多いのではないか。聖書には「人がひとりでいるのは良くない」(創世2・18)とある。これは、長年結婚を勧める教えとして、語られてきたが、本当にそれだけの教えだろうか。確かに人は一人では生きていけない存在で、豊かな“交わり”は生きるうえ不可欠だろう。一方で、たとえ家族がいようとも人は結局は“ひとり”であることも事実だ。しかし、社会の中で孤独を感じるときにこそ、神に呼ばれているのかもしれない。
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“無関心”でも “論破”でもなく、聖書的な“議論”をしませんか?
インターネットの普及で、人はいつでも誰でも自由に意見を発信できるようになった。しかし、どこでも健全な議論が行われているわけではない。話し合いによってよりよい結果を導き出そうというよりも、相手を理論で打ち負かし、黙らせたほうが勝ちというような勝敗が目的になっているケースも目立つ。それでは、この世の“分断”は解消できず、むしろ増えていくばかりだろう。そもそも日本人は、元来ディベートが苦手な民族と言われてきたが、今はそれぞれが意見の違いを乗り越え、協力しなければ社会が成り立たない時代。健全な議論について、聖書から考えてみたい。