特集

特集 クリスマス 神はなぜ人として生まれたのか
イエス・キリストの降誕を祝う日、クリスマス。聖書には「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました」(ピリピ2・6)とある。イエスはなぜ、人となられたのだろうか。なぜ人とならねばならなかったのだろうか。その意味を改めて考えてみよう。

祈りが聞かれない時
信仰の基本である祈り。何度も祈っていてもなかなか答えが与えられないこともあるだろう。あまりの苦しさに祈ることを諦めてしまうかもしれない。しかしそんな時、神様は本当に祈りを聞いておられないのだろうか。聖書の中にある祈り、古今東西のキリスト者の祈りを味わいながら、思い巡らしてみよう。

気づかない“支配”からの解放
ニュースなどで時々見かける 著名人がカルトに熱を上げているという報道。 遠い世界のことかと思いきや、近年家族やママ友同士など 身近なコミュニティでも、言いなりに支配されて 幼児虐待や犯罪に加担するような事件が起こっている。 コロナ禍で自粛生活が長引くなか、孤独感を抱える人々を 会員制交流サイト(SNS)で勧誘するなど、 カルト教団の活性化が懸念されている。 大切な人を守るために、まずは知るところから始めよう。

すべてを赦さなくてはいけないのですか?
聖書には「互いに愛し合いなさい」「赦しなさい」と書かれている。「さばいてはいけません」とも。しかし、人は無条件の愛も、一〇〇%の正しさももっておらず、自分の「正しさ」で人を裁き、愛し合えず、赦し合えない。 私たちは本当に、何もかも赦さなくてはいけないのだろうか。聖書、そしてイエスが語る罪と赦しについて考えてみよう。

キャンプへ行こう!
コロナ禍でなかなか人が 密になるところへは行きにくい。 こんなときだからこそ 「キャンプ」という選択肢はいかがだろうか。 みんなで“わいわい”はまだ無理だけど、 少人数なら可能かも。 自然という非日常空間での、大切な人との時間 そして、神様との深い交わりを求めて さあ、キャンプへ行こう!